読書記録 わたしのちいさないきものえん
下の子が小学校に入学しました。余裕もできたので日々の備忘録に書いていきたいと思います。
急な来客がある。一通り対応して笑顔で送り出し、ふと床を見るとしなびた紫キャベツが転がっている。抜群の存在感だ。どうして気づかなかったのか。
来た人は真っ先に気がついたことだろう。一瞬ぎょっとして、でも顔には出さない。この家の住人に「ねえ何か落ちているよ」ということもない。だってそこまで仲良くないし。そもそも紫キャベツが床に落ちているような家に住んでいる住人と仲良くしたいとは思えない。きっとそんなことを考えたのではないか。私は緩慢な動作で床からキャベツを拾う。
庭にも紫キャベツがある。ままごとのお皿に突っ込まれ、紫の汁を出している。
理科の水溶液の実験に使った後、余ったキャベツで子どもたちが遊んだのだ。
「薬」を作ったらしい。下の子は以前府中郷土の森の民家にある臼で葉っぱをすりつぶして以来、薬作りにはまっているのだ。漢方薬の薬研のようなイメージなのだろう。あまりにもずっと葉っぱをすりつぶしていたので、ほっておいて他の部分を見て戻ってくると、薬作りはいつの間にか娘と知らないおじさんの共同作業によってなされていた。知らないおじさんは無言で葉っぱをとってきて、娘の臼に投げ入れる。娘も無言で擦り続ける。見ていると娘が葉っぱを取りに行っている間にはおじさんが交代で葉っぱをすりつぶしている。二人は終始無言で真顔だった。何かに取り憑かれたかのように。
彼に向かって「遊んでいただいてありがとうございます」と言うのは何か違う気がした。二人は完全にイーブンにその作業に没頭していて、それを遊びと見なすことも、彼が彼女と遊んでくれていると解釈することもなんだか二人に失礼な気がしたからだ。
ちなみに玄関に紫キャベツを落としていたのはたぶん私だ。
先月かがくのともの「わたしのちいさないきものえん」という本を親子で読んで早速カタツムリを飼っている。カタツムリのケースは比較的涼しい玄関の靴箱の上に置いた。そのカタツムリの餌にしようと持ってきた紫キャベツの一部を落としてしまったらしい。
カタツムリは食べたものの色がそのまま糞になるので、紫のウンチを期待しての紫キャベツだ。しかし実際にはカタツムリはグルメで、無農薬栽培のちょっと高級なレタスばかり食べていて紫キャベツは見向きもされなかった。
最近はそのカタツムリ(ナミマイマイ)の横にヒラタベッコウというさらに小さなカタツムリとダンゴムシのケースが加わった。地面は常に霧吹きで湿らされ、玄関全体がえもいわれぬカタツムリ臭だ。
もしかしたら。もしかしたら先ほどの来訪者は紫キャベツには気がつかなかったかもしれない。でもこの匂いはどうだろう。カタツムリの匂いが好きな人は全人口の何パーセントくらいなのか。そんなことを考えながらカタツムリのケースをあけ霧吹きを押す。良かった。今日はキュウリも食べたようだ。